ソーシャルファームプロジェクト
「働きたい」と願う誰もが「働くことのできる」社会の実現
自閉症スペクトラムと知的障がい特性を持ち生まれてきた娘が小学生の時に
担任教諭の方からいただいた言葉です。
「生まれてくる命の中には、一定の確率で障がい特性を持つ子どもたちがいます。彼らは誰も引き受けたがらなかったであろう障がいという困難な特性を
『ぼくが(わたしが)引き受けます』
と名乗り出てきてくれた存在なのだと思います。
優しい子どもたちだと思いませんか。
素晴らしい子どもたちだと思いませんか。
だから私は心の底から彼らのことを尊敬しているんです。」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で我が子が障がいという困難な特性をもって
生まれてきた意味が大きく変わっていきました。
優しくて素晴らしい彼らと共に、違いを知り、認め合い、支え合い、
補い合いながら、誰もが自然な笑顔で過ごせるコミュニティを、
彼らが生まれ育った地域の中に創りたいと強く願いました。
その願いを原点として、「働きたい」と願う誰もが「働ける」社会
=「はぁもにぃソーシャルファームプロジェクト」に取り組んでいます。
わたしたちはぁもにぃが目指す「ソーシャルファーム」は、
「半径20キロ圏内から真のノーマライゼーション社会」を実現するための、
実践的かつ持続可能な仕組みです。
地域に根ざした経済活動の中で、多様な人たちが「共に働く」ことを通じて、
「共通の責任を担い、共に成長していけるコミュニティ」です。
そこでは、働く人それぞれが「できること」で役割を持ち、
「できないこと」は仕組みやチームワークで補い合います。
そして、その活動の対価として得た報酬は、経済的な安定だけでなく、
「必要とされている」という実感や、「誰かとつながっている」
社会的承認をもたらします。
この「ソーシャルファーム」は、利益を目的とするだけの場でも、
支援の対象として守られるだけの場でもありません。
地域の人々が互いの強みを活かし合い、寄り添いながら、
「持続的に働ける場」=「新しい共助のモデル」です。
※ソーシャルファーム(Social Firm):ソーシャルファームとは、障碍者あるいは労働市場で不利な立場にある人々のために、仕事を生み出し、また支援付き雇用の機会を提供することに焦点をおいた企業活動です。
1970年頃に北イタリアの精神病院で、入院治療が必要でなくなった人が地域に住み仕事に就こうとしましたが、偏見差別意識から雇用する企業が現れなかったため、病院職員と患者が一緒になって仕事をする企業を自ら作ったのがはじまりです。その後、ドイツ、オランダ、フィンランド、イギリスなど、ヨーロッパ各地に広まり、今では様々な国で活発に活動が行われています。
「ディーセント・ワーク」の実現
地域の人々が互いの強みを活かし合い、寄り添いながら、
「持続的に働ける場」=「新しい共助のモデル」である「ソーシャルファーム」
その実現には、「ディーセント・ワーク(尊厳を守られ、
やりがいを感じられる働き方)」が不可欠です。
「誰もが役割と責任を持ち、貢献しあえる職場環境」こそが、
わたしたちはぁもにぃが目指す「ソーシャルファーム」の基盤です。
持続可能な社会の一員として経済性・連携・共生を重視した
「はぁもにぃソーシャルファーム」は、
単に「働く場」をつくるのではなく、地域と経済をつなぎ、
「必要とされる仕事」を生み出し続ける経済的持続性を追求しています。
地域の草刈り受託や農業・養蜂など、季節や環境に根ざした仕事を継続的に
受注・運営することで、地域に根ざした収益構造を築いています。
また、地域の生産者・企業・行政・学校と協働し、役割分担と循環の仕組みを
整えることで、ひとりの働き手の負担に依存しない
「役割設計された協働チーム」として運営しています。
※ディーセント・ワーク(Decent Work):ディーセントワークとは、働きがいのある人間らしい仕事という意味です。まず、仕事があることが基本ですが、その仕事は、権利・社会保障・社会対話が確保されていて、自由と平等が保障され、働く人々の生活が安定する、すなわち、人間としての尊厳を保てる生産的な仕事のことです。
ノーマライゼーション社会に必要な配慮は公平?それとも平等?
公平と平等の違い
うしさん と にわとりさん と ミツバチさん がいます。
三匹がくす玉に到達できるように
平等にそれぞれに一つずつ箱を置くとしましょう。
平等に箱を置いてみると...
にわとりさん は届いたけど他二匹が届いてませんね…
・・・あれ?そもそもミツバチさん って
空が飛べるから箱がなくてもくす玉に届くよね?
じゃあそのミツバチさんの箱を
うしさんに分けてあげようよ!
やったね!みんなくす玉に届いたよ!
……ということが公平。
必要な人に必要な分だけを与えてるというのが
ポイントです。
ひとりひとりの持つ特性や個性が違っても、社会の中で
生きづらさや困難を感じずに生きていくために、
必要な配慮があります。
それを合理的配慮といいます。
ひとは皆同じだから平等が必要なのではなく、
ひとは皆違うから公平が必要なのです。